僕の場合の依存
苦手な人は本当に「苦手」? 気づいたら“依存”していただけだった
Aさんに認められないと無価値だと思っていた
職場でどうしても気になる人、苦手だと思っている人はいませんか。私にも、そんな相手がいました。ここでは仮にAさんとします。私はAさんに認められないと、自分は価値のない人間だとさえ思い込んでいたのです。表向きは「苦手だ」と言いながらも、実際はその人の評価ばかり気にしていました。
「苦手」ではなく「依存」だったと気づいた
ある日、奥田英朗さんの小説『コメンテーター』を読んで気づきました。私はAさんを苦手だと思っていたのではなく、実は依存していただけなのではないか。だからこそ相手の言動が気になって仕方がなかったのだと。アドラー心理学の観点から見ても、相手を「苦手だ」とし続けるのは、依存を続けたいという自分の目的があったのかもしれません。
仕事でも同じでした。うまくいかないと「自分は無価値だ」と決めつけ、落ち込み続けることで行動しない自分を正当化していたのです。無価値だと思い込むことは、自分を守る言い訳でもありました。
気づいた瞬間の解放感
しかし、この構造に気づいたとき、心が軽くなりました。誰も私から「私であること」を奪うことはできません。自分の人生を動かすハンドルは、最初から自分の手の中にあったのです。
アドラー心理学には「課題の分離」という考え方があります。相手がどう思うかは相手の課題であり、自分がどう生きるかは自分の課題。Aさんに認められるかどうかは私の課題ではありません。私にできるのは、自分の行動や考え方を変えることだけでした。
答えは自分の中にある
今では、人の目を気にしそうになったら「それは相手の課題」と言い聞かせ、自分にできる最善を選ぶようにしています。そうすることで心がずっと自由になりました。結局のところ、答えはいつも自分の中にあります。
読んでくださったあなたへ
もし今、誰かの態度や言葉に心を揺さぶられているなら、それは「苦手」ではなく「依存」のサインかもしれません。あなたの価値は、誰かの評価に左右されるものではありません。あなたの人生を動かすハンドルは、常にあなたの手の中にあります。
今日から少しだけ意識を変えてみませんか。「相手の課題は相手のもの」と切り離し、「自分にできること」を選び取る。その積み重ねが、きっとあなたを自由にしてくれるはずです。

